今日はパガサが休みなので、久しぶりに自宅でのんびりと読書をしたり ゴルフクラブの素振りをしたりしてすごしました。
今日読んだ本はこの一冊、パガサと違い、自宅は蔵書が少ないので 三回目の読み返しです。 フィリピン人が書いたこの本は、フィリピンを理解する上で貴重な一冊、 時間があったら、ぜひお読みください。
フィリピンで書かれる政治家の伝記は、だいたいにおいて聖人伝である。
主人公をあたかも非の打ちどころのない英雄のように扱う。
親切で寛大、汚職とは無縁、煩悩や貪欲の誘惑にけっして負けたりはしない。
男女含めてこうした偉い方々は、ふつうの人間と違って過ちとか愚行など
したくてもできないかのようだ。
これまで出版された伝記は往々にして、好ましくない部分はすべて省かれて
いるため、聖人の生涯を読まされている気分になる。
本書はそうではない。独自に書かれたこの伝記では、1970年代以来、
この国のドラマで重要な主役を演じてきたフィリピン人実業家兼政治家の
物語が語られる。その人物、エドアルド・ダディン・コファンコ・ジュニアが、
虚実とりまぜて語られる伝記の対象であることは間違いない。
誹謗する人々に言わせれば、彼は何でも飲み込んでしまうパックマン、ゴット
ファーザー、独占の象徴たる悪ということになる。
しかし、支持者にとっては民主主義者の実業家、寛大なパトロン、有言実行の
人だという。
中略
コファンコが持ち前の抜け目のなさとマルコスとの結びつきによって、一介の
地方政治家からココナツ王へ、さらに今日、フィリピンの最重要企業に数えら
れるサンミゲル社の最高責任者におさまった過程が語られる。著者パレーニョ
はコファンコの話を、基本的に、フィリピンにおいて政治と富がいかに密接に
絡み合っているかという枠組みにあてはめて語っている。
中略
フィリピンの汚職、腐敗は、戦後のフィリピン独立以降の年数の丸々半分を
占める長いマルコス独裁政権の時代(1965~1986)に、そのすざましさの頂点に
達した。マルコスは戒厳令を施行する前から、汚職によって手に入る利益に対
してすざまじいばかりの貪欲さを示していた。しかし、マルコスが汚職利益を
一粒残さず吸い上げる、いわば”真空掃除機的手法”とでも呼べるものを完成
させたのは、彼がゆるぎない政治的独裁権力を手中にした1972年以後にな
ってからである。
マルコスとその一族はフィリピン政府をきれいに食い尽くした。そのやり口は
70年代にフィリピンに大量に流れ込んできた外国からの数百億ドルにもなる
ドル借款からごっそりと中抜きすることであり、彼らが目につけた事業なら何で
あれ、権力を利用してそこから大きな利益を恐喝的に取り上げるというものだった。
当然、この腐敗の全盛期に甘い汁を吸ったのはマルコスだけではなかった。
マルコスの側近や取り巻きたちも、当時から現在にいたるまで、腐敗の真っ只中
に身を置いている。
自宅のベランダから、久しぶりに見た夕暮れ時のアラヤット山(標高約1000m)と・・
幻想的な夕焼けです。
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