【写真-1 まだ夜は明け切っていない】
早起きしてバスコ港まで歩いて行く。写真-1の海に向かう道の下がった場所に港はある。右側には公園、グラウンドがあり、綺麗に剪定された樹は『バタネス・ツリー』と呼ばれているこの地域に生える樹。島中至る所で見るが強風に強い樹らしい。

【写真-2 この辺りは中国の泥棒のような領海侵犯は及んでいない】
港へ降りる坂道の途中にあった『コースト・ガード』の建物が写真-2。台湾に近い関係で領海警備の役割も持つが、バタネス海域は強風と高波の難所で知られ、海難救助が主のようだ。重要な拠点であるが、それにしては港にそれらしき艇は見えなかった。

【写真-3 こういう小さな島でも荷扱い量は多そう】
坂を下りるとコンテナの積まれている桟橋に突き当たる。こういう小さな島にしては立派な写真-3の桟橋。向こうに貨物船が停まっていて、この時は割合大きな2隻の貨物船が桟橋に横付けしていたが、後で聞くと強風のため風待ちをしていた。

【写真-4 天気次第で欠航の多いイトバヤット島行きの切符売り場】
写真-4は桟橋方向から見た坂道。左側のテントはフィリピン最北にある有人島『イトバヤット島』へ行く定期船の切符売り場。風が強いのに今日は出るのかと聞いたら出るといわれる。その島にはバタン島を見学して2~3日後に行くつもりでいた。

【写真-5 港の中でも押し寄せる波は多い】
海岸から桟橋方向を見たのが写真-5。1941年12月8日、日本軍はこの海岸から奇襲上陸をしたが、波の様子を見ると結構荒く簡単ではなかったのではないか。突然沖合から日本の艦艇がやって来て兵隊が上陸し始めた時、島の人はさぞ驚いたであろう。

【写真-6 この先の丘の上には灯台がある】
港に陸揚げされている小舟が写真-6。バタネスの船の特徴は、船尾が高く、全体に乾舷も高い。これはこの海域の波が高いためと思うが、この船尾の形状を見ると沖縄の『サバニ』と似た所があって、沖縄の船造りの影響があるかも知れない。
 
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