 【写真-1】
簡単な食事を済ませてから、泊まることができる灯台へ様子を見に行くことにした。写真-1は民宿近くの民家で、バタネス地方独特の石を積んだ壁を持ち、屋根は草葺。この辺りにはいくつもあったが、廃屋のような建物も目立つ。

【写真-2】
写真-2は中央の通り沿いにあった学校で、日本風に言えば水産学校になる。しかも国立だが、漁船より収入は高く人気の外航船に乗り組むフィリピン人が増加している中、ましてや人口の少ないこの島で学ぶ生徒はいるのだろうか。
 【写真-3】
写真-3は同じ通りの山側にあった石造りの家。この建物は2階建てでかなり大きく、2棟が付いている感じ。2階建ての石壁を持つ家は他にもあったが、1階部分はかなり低く、中には住い用ではなく倉庫として造った建物もある。
 【写真-4】
港方向に向かうと写真-4のゲートがあり、その向こう左に教会と学校、右に学校が建つ。船が着く港は右手側。この広場は校庭でもあり、お祭りの行事などにも使われる、サブタン島一の平らな格好の場所。
 【写真-5】
教会は小さな島にしては立派な『サン・ヴィセンテ・フェラー』教会。1785年に小さな教会から始まり、1844年に写真-5のような教会になる。右側にある建物も教会施設で、敷地や建物から見て教会の力が絶大であったのが分かる。
【写真-6】
教会と反対側にあった写真-6の記念碑。バタネスの各島には戦時中日本軍が駐屯していて、1944年にサブタン島で地元民と衝突があり、その戦闘でかなり地元民は殺され、こういった辺境の島でも日本軍の暴虐の爪痕が残っている。

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