マッカーサー率いる連合軍は1944年10月20日、セブ島の隣にあるレイテ島に上陸しレイテ島に配備された5個師団、1個旅団の日本陸軍部隊と戦うが、圧倒的な火力の前に日本軍の師団長(中将)が軒並み戦死してしまう過酷な戦場となった。

【写真-1 靖国神社にある特攻隊像と碑 場所柄反省の弁は全くなし】
迎え撃った日本側の兵力は8万4000人強で、戦死者は8万人近く10人に1人は戦死。対する連合軍側の兵力は連合軍20万人とフィリピン側兵力で、連合軍側の死者数は3600人というから損耗はかなり低かった。
ただし、これら公になっている数字には動員された在留邦人やフィリピン人側戦闘参加者、民間人死者数などは含まれず『その他多数』と一括りにされているし、負傷者などは両軍では相当数になり、戦争の酷さが見える。
マッカーサーは親の代からフィリピンに縁があって、父親はフィリピンがアメリカの植民地であった時代のアメリカ軍司令官で、数々の利権を持っていたし、宗主国の人間としてフィリピン人をかなり見下していた言動も多く、それは息子のマッカーサーも同様であった。
軍人ながら特権を得て王侯の様な生活を好み、その象徴が当時の最高級ホテルのマニラ・ホテルに住んでいたことで、今も『マッカーサー・ルーム』として保存されているが、先年このホテルに泊まった時は団体専用のホテルのようになっていて、相当格は落ちた。
当初、アメリカ軍中枢は多大の損害を見込まれるフィリピンは海上封鎖をして日本軍を閉じ込めて、台湾、沖縄に上陸をすることを考えていたが、フィリピンを追い出されていたマッカーサーにとって屈辱の何物でもなく、傷つけられたプライドのためにフィリピン再上陸を演出したという見方が強い。

【写真-2 同神社にあるゼロ戦の実機】
連合軍上陸を受けて日本軍は『捷一号作戦』を発動し、10月20日にはルソン島中部にある日本海軍マバラカット基地から、関大尉指揮の『神風特別攻撃隊』と名付けられた4隊がレイテ海域に出撃したが、天候不良のために引き返した。
この時期、フィリピンは台風シーズンでもあり連合軍がレイテ島に迫った頃には台風が来ていたという記録もあり、実際、76年後の今日10月21日のセブは台風の影響で雨が降ったりする視界不良の天気となっている。

【写真-3 左後方からのゼロ戦 最強の戦闘機といわれたが搭乗員が追い付かず】
20日に出撃した四隊の内『大和隊』はマバラカットに戻らずセブの海軍航空隊飛行場に降り、翌日の出撃に備えたが、この飛行場跡は今も残っていて、コール・センターのビルやコンドミニアムが林立する再開発地域となっている。
翌21日午後4時25分、大和隊を率いた海軍予備学生出身の『久納好孚(くのうこうふ)』中尉は250キロ爆弾を抱えたゼロ戦に搭乗し出撃するが、同時に出撃したゼロ戦2機はセブに戻るが、久納の機は戻って来なかった。
久納は必ず敵艦戦にに突っ込むと宣言していたが、当日の艦船に対する空からの被害は確認されず、久納は燃料切れで海か山に墜落したのではと見られるが、墜落した目撃情報はなく地点不明で戦死ということになった。
ちなみに久納は法政大学出身で、この間首相になった菅も同大学出だが、菅は戦後生まれだから直接には戦争は知らないであろうが、菅の大学時代は大学紛争の真っ最中で、菅がその時どういう風に学生生活を送っていたか伝わって来ないが、空手部の副主将であったというから大学側の用心棒になっていたのではないか。

【写真-4 後方の防弾は弱く搭乗員は被弾すると負傷しすぐに発火した】
神風特攻隊は25日に、レイテ島近くの連合軍機動部隊に関大尉以下の体当たり攻撃が成功し、この攻撃で戦死した搭乗員を特攻戦死一号とし『軍神』に祀り上げるが、実際は戦果不明ながら久納中尉が特攻戦死の最初であったことは間違いない。
また関大尉が率いる隊が最初に攻撃は成功したとなっているが、実際にはダヴァオ基地から出撃した二隊の方が先に攻撃は成功していて、これは正確な報告も残っているが最初の攻撃は『海軍兵学校』出身者にすると事前に決まっていて、前線指揮官が意図的に操作したようだ。
久納はセブに居た時にピアノを弾いたという話が残っていて、日本軍が接収した現地の家屋は富裕層の豪邸でそこに高級指揮官、将校が住んだが、ピアノくらいはあっても当時の富裕層の暮らしぶりから不思議ではなく、ピアノを弾いた家が今も残っているかも知れないが今となっては知る由もない。

【写真-5 久納中尉が飛び立ったセブの日本海軍元飛行場跡の現在】
また、久納が弾いた曲は何であったかの興味を持つが、先年日本で『月光の夏』という特攻隊員がピアノを弾く映画が製作されたが、これは九州から出撃した隊員の物語で久納がピアノを弾いたという話とは被らない。
しかしベートーベンの『ピアノ・ソナタ14番』即ち『月光』を久納が戦死する前夜にセブで弾いていたとすれば、これはフィクション以上に奇であるが、それは出来過ぎた話になりそうだ。

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