ミャンマーには2014年6月に一週間近く旅行をしたが、雨季の真っ最中で、ヤンゴン国際空港へ降りる直前の眼下に見えたミャンマーの農村地帯は、赤茶けた色の泥濘の中に浮かんでいるように見えたのが印象的であった。

【写真-1 翌年に民主側は選挙で圧勝】
そのミャンマーで2月1日に軍がクーデターを起こし、スーチー国家顧問以下大統領や有力政治家などが拘束されたニュースが世界中に流れ、前々から軍は何かを企てているといわれたが、2月1日は国会の開かれる日でそれを狙い撃ちにした。
ミャンマーは1962年の軍事クーデター以来、社会主義を標榜するものの実態は軍関係者の利権を拡大しただけの軍事政権が長く続いていたが、高揚する民主化運動に軍は抗しきれず1990年に選挙が行われた。
この選挙ではスーチー率いる民主勢力が圧勝するも、軍事政権はその結果を認めず、暴政は続き、民主派を象徴するスーチーの自宅軟禁が始まり、1991年にはノーベル平和賞がスーチーに贈られる。
その後、2015年の選挙で民主勢力がまたもや圧勝し、スーチー政権が発足し、2020年に行われた選挙でも民主勢力の圧勝となり、軍を主体とする政党は惨敗し、既得権益層であった軍の焦燥感は募った。
民主派の確実な伸長に危機感を持った軍部がクーデターに出たのが今回の政変だが、軍の言い分が『選挙不正』であり、何やら世界はアメリカのトランプと同様、選挙結果が思うようにならないと『不正』だと叫ぶのが流行している。
トランプの現在は大統領選に落ちた一文民に過ぎず、今は裁判を待つ身だが、人を殺すのが任務の最強の暴力装置といわれる軍隊が出しゃばるとロクなことはなく、特に軍が政治に口を出している国は例外なく人権が抑圧されている。
このクーデターという言葉は最近でも2014年5月にタイであり、その時はラオス・ヴィエンチャンに居てテレビで知ったが、朝からCNNを始めとした外国系ニュース番組が流れず何かが起きたと分かった。
隣国のことでそれほどラオスには影響はなかったが、メコン川を渡るタイとラオスの国境では出入境を巡ってかなり混乱したし、戒厳令が布かれたのでタイ側の入境地域に完全装備の兵が配備されていたのが変化といえば変化。
タイは昔からクーデターの多い国で、1932年に王政から立憲君主制に移行した時のクーデターから2014年のこのクーデターで19回目というから、国民もクーデター慣れしているのか動揺している感じはなかった。
2014年のタイのクーデターは当時のインラック首相一族を巡っての汚職、金権まみれの権力闘争に終止符を打ち戒厳令は10ヶ月後に解除されたが、軍政は続きその後民政移管のために選挙が行われるが、軍の思うままで現在の首相はクーデターを指揮した人物である。

【写真-2 ヤンゴンの朝食風景】
ミャンマーの場合、軍というのは利権集団になっていて、例えばビルマ・チークで知られるチーク材の伐採、ルビーを始めとする豊富な鉱石採掘など全部軍の息がかかっていて、軍を抜きには商売が出来ず、そこから莫大な金が軍の懐に入っていて、この例はフィリピンでも同じで違法伐採は軍や警察の関与があるために根絶出来ない。
スーチー政権が生まれ民主化が進み、今まで暗くて見え難かった構造が暴露されるようになって、軍の上層部は結局、スーチー政権と妥協するしかなくなり、それが奇跡的なミャンマーの春を生んだ訳だが、今まで溜め込んだ軍長老は良しとしても軍の若手にはお零れが渡らなくなり、その不満が今回のクーデターを招いた。
軍が言っている『選挙不正』など単なるお題目で、利権を巡っての暴発で、もしかすると民主派に属する人物達も権力の座に座って利権漁りに走ったための衝突なども考えられるが、これは憶測の域を出ない。
このミャンマーのクーデターに関してフィリピン政府は『内政干渉』になると、論評を避けているが、例えば中国がフィリピン近海の島に軍事施設を不法に造っても、あれは中国の問題で抗議は内政干渉だなどとは口が裂けても言わず、都合の良い言辞を使い分けているに過ぎない。
日本政府も、こういった政治問題に対しては全く見識のない国で、小生がミャンマーを訪れた頃は日本企業の進出は50社くらいで、今はその10倍以上になっていてミャンマーを『アジア最後のフロンティア』などと称して、盛んに日本から投資が行われているが、経済、金儲けでしかミャンマーを見ていないのは官民共に明らか。
初めてのミャンマーの旅はヤンゴンから飛行機でマンダレーに入り、その後最近世界遺産になった『バガン』に寄ってまたヤンゴンに戻るコースであったが、旧英国領のために英語は良く通じた。

【写真-3 典型的な朝食 コーヒーは最初から甘くお茶が出るのが面白い】
ミャンマーは仏教徒の多い国と聞き、ちょうどカトリックの多いフィリピンと似た国になるが、意外にもマンダレー方面に入るとイスラム教徒を多く見かけ、イスラム系の食堂で食べるが、2017年以降のイスラム教徒である『ロヒンギャ』難民問題はミャンマーの今を炙り出している。
スーチー政権が発足してから難民問題はクローズ・アップされているが、元々は軍事政権時代からの問題であって、軍のロヒンギャ弾圧は酷く、国際的に非難されたロヒンギャ虐殺も軍の計画的なスーチーに対する嫌がらせであり、これをスーチーが黙認しているとしてノーベル平和賞剥奪などと言い出す人間もいたが、ミャンマーの事情を分かっていない。
さて、クーデターを起こした軍の最高責任者は、憲法規定に沿って1年間この非常事態を続けると表明しているが、この人物、軍の定年間際で政治への野心を口に出していて、結局のところ最高権力者に就きたいためのクーデターなどといわれていてどう転ぶか分からない。
また、今回のクーデターに中国の南下政策の影が反映されているとの指摘もあり、ミャンマーと中国間の貿易額は2018年に118億ドルに達し、2位のタイの57億ドルを大きく引き離していて、軍にしても既得利権を守ってくれて、しかも賄賂が当たり前の中国なら大歓迎というところである。
このミャンマーのクーデターに関しては今後も注視し、併せて初めてのミャンマー旅行について改めて稿を新しくして載せたいと思う。

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