7月3日(土)に熱海市の伊豆山であった土石流は、その様子が映像に撮られて自然災害の怖ろしさを目の当たりに見せたが、伊豆半島は伊豆山と同じようにすぐ後ろに山が迫っている地形で、大雨が降ると崖崩れの起き易い多発地帯になっているが、こういった要注意の危険個所は日本中に数十万ヶ所あるという。

【ルソン島山岳部の棚田に建つ住居】
伊豆山の土石流は急斜面が続いた長雨のために、地盤の保水力を超え爆発的な土石流を起こした様だが、その発生個所は宅地開発で大量に盛り土をした場所からが明らかで、不可抗力に近い自然災害というより人災の疑いが強まっている。
被害のあった熱海からいくらも離れていない伊東市に小生の知人が住んでいて、伊豆山と同じ様な急坂を登った所に建てられた温泉付きのリゾート・マンションはしっかりした所にあるから危険はないと思うが、今回の土石流のように災害は突然、予期せずに起きるから油断は出来ない。
日本は地震、台風と自然災害の多い国で、狭い国土のほとんどは山岳地帯で平地は少ない中、過剰な人口を抱えているために平地以外にも家を建てて、近年は建築技術の進歩もあって以前は家を建てなかった場所に当たり前のように造られている。
その辺はセブも同じで、セブ島は南北に230キロある細長い島で、その割には幅は30キロ前後しかなく中央部に500~1000mの山岳地帯を抱え、その山裾が海近くまで迫っていて、平地というのは海岸部に僅かしかない島である。
そのため、セブ島で最大都市のセブ市は昔から山に向かって住宅地を開発するしかなく、海岸の方から見ると山の稜線に向かって急斜面を埋めるように家が建てられているのが分かる。
セブに住み始めた当時、セブで最高といわれる住宅地に住んだことがあって、そこは平地から急に登った谷間を開発した地域で、上の方に行くに従って眺望が良くなって平地に密集する家々を睥睨するようになる。
当時も今も最高級の住宅地といわれるように、斜面を縫うように造られた道路沿いには豪邸が並び、金持ちというのはこういう高い場所を好むのだなと思うものの、仕事先でここに住んでいるというとフィリピン人からは『さすが金持ちの日本人』という眼で見られたが、会社の金で借りていただけで面映ゆかった。
『猿と馬鹿は高い所に登るのが好き』という言葉があり、国を問わず金持ちは高い所に住むのが好きなようで、これは天守閣から下を見下ろす心理と同じと思うが、そういえば日本では『タワマン』と呼ぶ40階くらいのマンションに住むのがブームという。
これも下界を見下ろしたい心理が効いているのだろうが、以前六本木にある超高層ビル内にオフィスを構える会社を訪ねて、窓から見える広々とした景色に見とれたが、こういう下界を見下ろす環境に居ると自分は仕事が出来ると錯覚する者もあるのではないか。
セブに戻るが、セブ市の中心から山に向かって車を走らせると、急な道の両側は建物が連なり、以前は建物がなかった山の急斜面にも建物が造られ、これで大丈夫なのかなと気になる家が多い。
セブ島というのはセメント生産会社がいくつか操業している様に、大昔のサンゴ礁が隆起した石灰岩で造られ、その上に長い年月をかけて土が被さった地質で、固い地質に柔らかい土が薄く乗っている状態なので表層の土質部分は滑り易い。
そのため、山間部では大雨や台風時には小規模の土砂崩れが頻発していて、災害の多い日本人の眼から見れば、こういう危険な所に家を建てる神経も良く分からないが、今のところ大規模な崖崩れはセブ市ではないから安心しているのであろう。
この間、セブ島北部に行ったら、海岸部から山に入って縫うように走る幹線道路の山側で大規模な崖崩れを起こし現在復旧中だが、ここは新型コロナが蔓延し出した頃から復旧工事をしているから1年くらい経っているし、今年中に終えるかどうか。
フィリピンの工事の遅さは知られているから誰も怒ったりしないが、一車線しか通行出来ないから交互通行になり、山の中なのに渋滞甚だしく、それでも工事が進んでその内出来るだろうと思っていないとフィリピンでは暮らせない。
年に数回の大型台風がフィリピンを直撃して、大水が出たり家屋を吹き飛ばす被害は当たり前のようにあり、2013年の100年に一度といわれた台風『ヨランダ』で被災した人々用の被災者住宅をまだ建設中で、台風馴れしている国民だからその遅れは問題にならず、それにしてもまだ建設中の被災者住宅を見るといい加減にしてくれと思うが外国人だからだろうか。
小生は東京の荒川放水路と隅田川に挟まれた下町で生まれ育っているので、土石流のような自然災害には縁はなかったが、年中行事の様にあったのは『出水』で、大雨が降ると道路は冠水し、台風時には床下、床上浸水は当たり前であった。
そのため、大きな台風来襲の予報が出ると、畳を外して机の上に乗せることや、雨戸を筋交い状に板を打ち付けて風の被害を避けるのが今思えば『風物詩』のようであったが、アルミ・サッシの普及でこういう作業もなくなった。
床上浸水で一番記憶に残っているのは死者・行方不明者5000人以上を生じた『伊勢湾台風』で、1959(昭和34)年9月26日に潮岬に上陸した台風は伊勢湾沿岸に大被害をもたらし、東京にも大雨を降らせた。
この時、床上浸水し押し入れで寝た記憶があり、浸水した水は何日も引かず、学校も休校となり、同級生と筏を作って遊んだが、当時の東京は汲み取り式便所が普通で、便槽の汚物も一緒に流れ出ていたが子どもは汚いと感じなかったのか遊び回った。
この伊勢湾台風による東京下町の長期間の水没が契機となって、行政側は本格的に排水工事を開始、近くの道路でやっていた工事を観に行ったくらいの大掛かりな工事で、それが完工してからは出水というのは起きていないから、出水も自然災害とはいえ金と時間をかければ押さえ込める例になった。
この伊勢湾台風の時に水が引いてから、近所にある放水路の堤防まで行って川の様子を見たが、いつも野球をしている河原を遥かに超える水が恐ろしい速さで堤防下に流れていた。
水面の高さは家々の屋根を越えていてビックリしたが、元々0メートル地帯といわれたように土地自体が低いためで、幸い堤防決壊という事態には至らず、子どもが見物に行けたくらいだから危険はなかったのであろう。
この堤防決壊は近年日本の各地で目立ち、最近でも九州熊本の球磨川の被害があり、原因は色々考えられ異常気象による大雨といわれるが、いつの時代でも異常気象はあり、やはり出水し易い地域に人が住んでいることに関係が深いのではないか。
実際、各自治体で作成する自然災害を予測した『ハザード・マップ』に照らし合わせると、危険地域と認定された地域と被害を受けた地域と重なっていて、今回の伊豆山の土石流現場も危険地域と目された地域であった。
とはいっても危険だからといって、例えば三陸海岸のように昔から大津波被害を受けても海岸部から人々はその地から離れることはなかなか出来なく、そのために大津波が来ては万里の長城の様な防潮堤を造るが、それも2011年の大津波で易々と乗り越えられてしまった。
今、その後被害を受けた三陸地方では更に巨大な防潮堤を造っているが、自然相手には予想外という言葉は通じなく、その巨大防潮堤を破壊する大津波が再びやって来ないとは誰も言い切れず、災害と人間の鼬ごっこは続くのではないか。

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