フィリピンはフィリピン人の国とひと口に語られるが、世界でも有数の多民族で構成されている国で、どのくらいの部族がいるのか分類によって数は変わるが、一説には200を超えるといわれている。

【写真は今はフィリピンの英雄となっているラプラプ像】
基本的にはマレイ系になるが、その中で多数派を占めるのはルソン島中部のタガログ族とセブを中心にするヴィサヤ族(セブアノ)で、母語別に分けるとヴィサヤ語を話す人の方がタガログ語より多いとされる。
フィリピンの公用語に『ピリピノ(フィリピン語)』があり、この『ピリピノ』は1987年のアキノ(母)政権時代に憲法によって国語と採用されているからかなり新しいが、ピリピノの中身はタガログ語なので全国的に見ればタガログ語が優位である。
また学校教育でピリピノを学ばせていることもあるが、日本のNHKが標準語と称する言葉で全国放送をしているように、フィリピンもテレビや映画などの全国ネットはタガログ語で作られているために、タガログ語の浸透度は違う言語を持つ部族にとっては気に食わなくても浸透度は高い。
小生がフィリピンに初めて足を踏み入れた1980年代、まだフィリピンはフィリピン人の国という括り方しか認識していなかったが、やがて二大部族のタガログ族とヴィサヤ族の相容れない関係を知り、結構複雑な国だなと思った。
これはタガログ族はヴィサヤの人間を田舎者と見下し、ヴィサヤの人間はタガログ人をお高く留まっているという感情的な面が強く、例えば東京の人間が関西の人間を小馬鹿にするのとは少々違う感情で、違う部族というのが底流にはある。
政治面ではその傾向はかなり強く、フィリピンの政治は地縁、血縁での結び付きが強く大統領を生んだ部族を見ると、ルソン島を地盤とする部族出身者が多く、その代表的なのがルソン島北部に住むイロカノ族の独裁者マルコスである。
ヴィサヤ地方出身の大統領も過去に3人いて、現在の大統領ドゥテルテはミンダナオ島が生んだ初めての大統領といわれるが、一族の元々の出自はセブで父親はセブ州知事を務めたことがあり、ドゥテルテという名前の多い町もセブ島東海岸にある。
さて公用語としてピリピノの他にフィリピンは英語があり、これはタガログ族とヴィサヤ族同士の仲の悪さがあるように、各地の部族同士で相容れないところが多いために、共通言語としてアメリカの植民地時代に普及した英語を採用していて、アジア圏で最も英語の分かる国の一つとなっている。
ちなみにフィリピンにある言語はこれも分け方によって違うが、100前後の言語とされ、同じヴィサヤ語圏のセブ島の人間が隣のボホール島へ行くと、また少し違う言語を使って通じ難いといったといった具合で、そういったものを含めると数はもっと多くなる。
フィリピン民族はマレイ系と書いたが、そのマレイ系はアフリカ大陸を起源とし、マダガスカル島を経て、インド洋を渡りマレイ半島に至り、それがミンダナオ島南部に上陸したとされている。
実際、マダガスカルをかつて旅行をした時に、今まで接していたアフリカ系の人々とは風貌は明らかに違っていて、アフリカ民族とアジア民族との混淆のような印象を受け、アジアに近いなと感じた。
そのアフリカ起源とされる人類は500万年前に生まれこれを『猿人』とし、次に『原人』と呼ぶ180万年前に生まれた『ジャワ原人』が知られ、同じ原人では中国の『北京原人』が知られる。
『北京原人』の骨の化石は1941年から不明になっていて、そこに着目した推理小説が伴野朗の『五十万年の死角』で、この作品は1976年の第22回江戸川乱歩賞を受賞した傑作だが、最近の研究では北京原人は68~78万年前と少し古くなっている。
原人の次は20万年前のネアンデルタール人で、火を使うなどかなり高度な人々であり、スペインの洞窟で発見された壁画で知られるが絶滅し、現代の人類とは繋がりはないとされ、4万年前に出現したと見られるクロマニヨン人が現代の人類の祖先といわれる。
その絶滅したとされるネアンデルタール人の系譜を引く、『デニソワ人』と名付ける集団がフィリピン民族の祖先になるのではという研究が最近発表された。
デニソワ人というのはシベリアのアルタイ山脈にあるデニソワ洞窟から発見されたこどもの骨を調べたところ、4万1千年前と分かり名付けられたが、しかもDNAでこのデニソワ人とフィリピンに住む少数民族のDNAと共通点を持つことが分かった。
人類はアフリカ起源で大移動を開始し、ユーラシア大陸からベーリング海を渡って北米から南米に到達したというのが定説で、その大移動で枝分かれがいくつも出来各地に定住して行くのだがデニソワ人もその一つで、クロマニヨン人との交雑が確認されている。
フィリピンにもマレイ系の部族が進出する前に先住民族があり、この先住民がデニソワ人と共通のDNAを持っているとされ、これら先住民はアエタ族、アティ族、バタク族などで、総称をネグリートと分類されている。
ネグリートというのはスペイン語の『小柄で黒い』という意味から来ていて、その風貌は暗褐色の肌を持つ小柄な民族で、アンダマン諸島からマレイ半島、スマトラ島、ニューギニア、フィリピンに分布している先住民をいう。
セブ島の隣にネグロス島というのがあり、この島の名前の由来も黒い先住民が居たことから名付けられたものだが、かなり前になるがレイテ島へ行った時に現地でソーシャル・ワーカーをしている知人がいて、その知人が山の中に住む先住民の家を訪問するというので一緒に行ったことがあった。
山の中に建てられた簡単な家には母親とこどもが住んでいたが、その風貌は肌は黒く巻き毛で明らかに普段見るフィリピン人とは違い、アフリカで見た少数部族の風貌を思い起こした。
フィリピンはホスピタリティーに溢れた国と宣伝するが、それは表向きでこれら少数民族の人々はその容貌から差別を受けているのは明らかで、たまに街中でそういった少数民族の人を見かけると周りの人は奇異の眼で眺めていることが分かる。
これら少数民族はスペインがフィリピンを植民地にする前は低地に住んでいたが、追われて山に逃げ込んで生活し、アエタ族はルソン島中部のピナツボ山に多く住んでいたが1991年の大噴火によって大被害を受け、その後政府の再定住政策で固有の文化、風俗が失われつつある。
その他アティ族はパナイ島に住む部族で、固有の言語は失い既に人口は1000人台というからいずれ失われる少数民族になり、この他パラワン島に住むバタク族などこれら少数民族をフィリピンでは『ルマド(Lumad)』と呼んでいるが、その数の多さと文化の多様性には驚かされる。
少数民族あるいは先住民については近年見直しが行われ、その権利を認めるようになり、かつて日本の総理大臣が『日本は大和民族の国』といって問題になったが、日本にもアイヌやウィルタ、ギリヤークといった北方系の先住民がいる。
アイヌに関しては2019年に法律を制定して、その権利は守られるようになったが、法律以前に日本人が朝鮮や中国に対する蔑視感と同様、アイヌ民族に対して公平な目が醸成されているとは言い難い日本社会である。
最後に小生がアフリカに住んだ頃、もしかすると腰蓑を付けて槍を構える少数部族に逢えるかと期待したが、車を乗り継いでかなり奥地へ行っても逢う人はTシャツにGパン姿でがっかりした記憶があり、これも誤った差別感から来ているのであろう。

|