日本ではこの10月14日(木曜日)に衆議院の解散、19日(火曜日)告示、31日(日曜日)投開票という日程で決まったが、告示から投開票までの期間が12日間、即ちそれだけの期間しか公式の選挙運動は出来ない。

【既に大統領選の事前運動は始まっている】
以前はもう少し長かったと記憶し国政選挙で12日間の選挙運動期間というのは短い気もするが、議員にしてみれば当選した日から次の選挙のために活動を開始しているから、公式な選挙運動期間の長短など関係ないのであろう。
一方、このフィリピンは6年に1度の正副大統領選と3年毎の国政及び各種地方選挙のための立候補受け付けは10月1日(金曜日)から10月8日(金曜日)の期間で行われ、実際の投票日は翌年の5月9日(月曜日)だから、7ヶ月近く前に届け出をしなければならないシステムは異様な感じを受ける。
この短い受付期間で立候補届け出は終了して、以降は受け付けないと普通に思うが、フィリピンの場合、11月までに立候補申請者が自ら辞退し、別の候補者に出馬してもらうことが可能な『交代届』というこれまた奇妙な選挙制度がある。
この手を使ったのが2016年大統領選で当選したドゥテルテで、ドゥテルテは出馬を否定し続けて、その裏では同じ党に所属する人物を大統領候補として届けさせ、話題が沸騰した中でおもむろに交代、出馬宣言をして、そのまま当選へ突っ走ったのだが、最初から戦術的に仕組んだといわれている。
このため、大統領候補世論調査で人気の高いドゥテルテの長女サラ・ドゥテルテが、従前の否定通り大統領選立候補届を出さず、ダヴァオ市長の再選を目指して市長選立候補を届けたのは額面通りに受け取られていなくて、親の使った手で大統領選の代理立候補を目論んでいるのではと見られている。
そういった虚々実々の政治屋同士の駆け引きは置いといて、本稿では届け出期間中に正式に立候補を届けた正副大統領候補者を中心に書くことにする。
大統領候補受け付け1番はパッキャオ上院議員で、同人は政治家というより世界的なボクサーとして知られる人物で、国民的知名度は抜群だが9月に行われた最新の民間世論調査では12%の支持しか集められなくて4位に沈んでいる。
特に大票田であるマニラ首都圏とルソン島全域ではそれぞれ6%、9%と一桁台の不人気で、これは同人が国民的人気の高いドゥテルテ批判を強めていることと、所属する党がドゥテルテ派とパッキャオ派に分裂していることも大きい。
なお、この9月の世論調査でトップを占めたのは毎回調査でトップを占めながら立候補届けを出さなかったサラ・ドゥテルテの20%で、サラは地盤であるミンダナオ地域で47%、次いでセブを含むヴィサヤ地域で23%とフィリピン南部で圧倒的な支持を集めている。
パッキャオもミンダナオ島南部の下院選挙区で2期当選、その後2016年の上院選で当選したが、サラ同様地盤はフィリピン南部でヴィサヤ地域では21%の支持を得、ミンダナオ島では15%を集め、何れも支持率ではサラに続く2位に付けている。
このため、サラがこのまま大統領選に立候補をしなければ、パッキャオにサラ支持票が同じ郷土の地盤という理由から大量に流れるのではとの見方も強く、現在人気は4番手であっても当選する可能性は高くなった。
次に届けたのはイスコ・モレノで、イスコは貧困の身から芸能界に入り、マニラ市議、副市長を経て、2016年にはマニラ市長3選目を目指した元大統領のエストラダを下した人物で、2019年に再選された。
元俳優という出自から知名度も高いが、当初は副大統領選にサラや反ドゥテルテの急先鋒のロブレド副大統領と組むとか、その二股のような態度に批判は集まったが、届け出に当たって反ドゥテルテ路線を鮮明にした。
そのモレノの支持率だがパッキャオより1%高い13%を得て3位に付け、マニラ首都圏ではサラに次ぐ19%、ルソン島地域でも16%を得ているが、ミンダナオ島地域では3%しか得られずフィリピン南部地域への浸透が当選への鍵を握っている。
2016年に副大統領選に出て小差で落選したボンボン・マルコス元上院議員が、6年後の大統領選に野心を燃やし立候補を届けたが、その名前で分るように20年近く独裁政治を敷き、国を食い荒らしたマルコスの長男に当たる。
マルコス一族がフィリピンから追い出されたのは1986年だが、マルコス家は出身地のルソン島北部で絶大な地盤を擁し、同地方で知事や下院議員を独占していて反マルコスを口にしようものなら簡単に消されてしまう土地柄である。
当人は父親の時代のフィリピンは黄金時代であったと全く事実と反するデマ情報を大量に流し、マルコスの独裁政権時代の悪行を知らない若い世代を懐柔しているためにに人気は高く、支持率調査でもサラに次ぐ2位の位置に付けている。
特に首都圏では28%、ルソン島地域で20%とトップの支持率を集めるが、フィリピン南部のヴィサヤ地域5%、ミンダナオ島地域8%と毛嫌いされているが、サラが出馬しないと当選圏に最も近い人物といわれている。
ドゥテルテはマルコス独裁時代に検事に任官し、父親がマルコス政権の閣僚であった関係からマルコスに近く、政治信条もマルコスの強権方法を見倣うと公言し、歴代の大統領がマルコスの遺骸を英雄墓地に埋葬することを拒否していたのに、大統領当選後に英雄墓地埋葬を認めた様に両家は非常に近しい関係を持つ。
そのため、1番人気でありながらサラが2022年大統領選に出馬しないのは、ボンボン・マルコスは現在64歳で年齢的に大統領挑戦は最後のチャンスであり、一方サラはまだ若い43歳なので次々回2028年大統領選に出馬するとの両家の裏取引があるためとの憶測も流れ、そういった話が本当のように聞こえるのがフィピン政治でもある。
反ドゥテルテ陣営の野党側は統一候補擁立を目指したが、結局上手く行かず前々から下馬評に挙がっていた現副大統領のロブレドが大統領選に届けるものの、支持率調査では前回大統領選に出て落選し、今回は不出馬を決め込んでいるたグレース・ポ-上院議員の5位に続く6位に沈んでいる。
ロブレドは前大統領でこの間亡くなったアキノを擁した党に属していて、アキノ大統領誕生時には黄金時代を迎えていたが、ドゥテルテ登場後の2019年中間選挙ではドゥテルテ側にしてやられて惨敗し、今や少数政党に転落している。
所属する党の力は弱く、それでも出馬するのは野党としての矜持を示すためといわれ、ロブレドが2016年副大統領選に出馬した当時は全国的には無名であったが、それが選挙戦を通じて見る見るうちに勢いを増して当選した成功体験があり、それを狙っているのではないかと見られている。
支持率では全国で一桁の8%、首都圏で10%、ヴィサヤ地域が最高の12%を得ていて、これがヴィサヤ地域はまだ党の組織が活発なせいもあり、ミンダナオ島地域では4%と人気は低い。
ロブレドとしては有力候補者が乱立しているために票が割れ、反ドゥテルテ、似たような信条を持つ同じ女性候補のポーが出馬をせずその票が流れてくれば当選の芽はあると読んでいるが、反ドゥテルテではパッキャオとモレノも同じ位置に立っていて難しい読みになっている。
パンフィロ・ラクソン上院議員が2度目の大統領選に届け出たが、ラクソンは元国家警察長官で一定程度の票は集めるであろうが当選は難しく、支持率でもロブレドに次ぐ6位に位置し、全国で6%、地域別でも7~3%と低い。
ラクソンの場合、一緒に組んだ副大統領候補のソット上院議長の方に話題が集まっていて、副大統領選には現大統領のドゥテルテが出馬を表明し、支持率でも常にトップを走り当選確実と見られていた。
ところがドゥテルテの副大統領選出馬に関しては憲法違反とか、各方面から批判が強くなり9月に行われた支持率調査ではソットが25%を得てトップに立ち、ドゥテルテは14%しか得られず急激に人気を失い、この事態から10月2日になってドゥテルテは副大統領選に出るどころか、政界から引退することを表明した。
電撃的な表明ではあるが、ドゥテルテはこういった手法が好きで時間が経てば元に収まる様に仕組んでいるのだが、今回ばかりは独走していた支持率で2位に沈んだことがプライドの高い本人にはショックで、下手をすると落選の憂き目も現実になるので引退は確実なようである。

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