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戦後70年の総理大臣『談話』を巡って、自民党・安倍が袖の下の鎧を隠してスタンドプレーを見せようと意気込んでいるが、フィリピンには戦後取り残された日系二世の問題がいまだ未解決で放置されている状態である。
戦後のどさくさで日本人であるのに戸籍がない状態の残留二世に対して日本のNPOが支援を行っているが、政府は硫黄島で見せた『遺骨収集』のような政治価値は薄いと見ていて、また中国残留日本人孤児救済のような事業としては動かず、肝心の日本国民の間でも忘れられた存在となっている。
この問題に対して、フィリピン日系人連合会が『高齢の日系二世が生きている内に救済』を求めて、日系二世から六世の署名約2万人分を集め、7月21日から訪日してこの問題を日本政府に直訴する運びとなった。
この問題では2004年からフィリピン国内で『就籍プロジェクト』が始まって、1995年現在で生存していた日系二世は3545人の数字が確認され、現在までに811人、23%の身元が特定されていない。
しかしながら、何れも高齢者であり529人、65%が既に死亡しているのが確認された。
身元特定作業は本人からの聞き取り、残っている書類、戦前・戦中の海外渡航者名簿や敗戦時のアメリカ軍作成の日本人捕虜名簿を基本に、父親(一世)の本籍地を割り出し、二世の名前を戸籍に記載して、二世の日本国籍を確認・回復する作業となっているが、戦後のどさくさで日本人である理由で二世は迫害を受けたために、関係書類を遺棄するなどしたため確認作業をより困難にさせている。
また、この作業で日本国内の一世の身元が判明しながら、二世本人の名前が戸籍に記載されていないケースも1676人と多数に上っている。
これは父親との親子関係を証明する証拠書類や証言が不足したり、何らかの理由で父親が戸籍に記載をしなかったなどがあって、1676人中、半数に該当する759人が日本国籍確認を待てずに死亡している。
こういった日系二世にとって時間のない立場に追いやられているために、フィリピン日系人連合会などは中国残留孤児問題で日中両国政府が『残留孤児認定』設けたように、フィリピン―日本両国政府でも同様の制度を設け一括救済を望んでいる。
こういった動きに対して日本政府は中国残留孤児とは①両親が日本人ではない(フィリピンは父親日本人、母親フィリピン人)。
②自らの意志でフィリピンに残った(当時の政策によってやむを得ず残らざるを得なかった)。
③フィリピン―日本間の国交は1956年に回復していて、日本への帰国は可能だった(貧窮に喘いだ残留二世ばかりで自前で帰国など不可能)。
ともっともらしく理由を挙げて区別しているが、安倍が北朝鮮に拉致された日本人救出に注ぐ労力と資金を考えればフィリピンの二世問題などすぐに解決すると関係者はいうが、こういった人道的な問題でも政治的バリューがないと政治屋は動かなく、この問題の解決は二世が死に絶えても解決されないと悲観的な見方もある。
なお、この問題は数万人存在するといわれる『ジャピーノ』と称される、日本―フィリピン間で遺棄された新二世者問題とも関係があり、極めて今的な問題でもある。
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