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今の日本は天皇などと呼びつけてはいけないおかしな風潮になっているが、1月26日、天皇・皇后は1962年に訪れて以来、54年ぶりにフィリピンの地を踏まれた。
2人は皇太子・妃時代の1962年に初訪問していて、戦後の反日感情の残るフィリピン人の対日感情を和らげたとされている。
今回、2人は数年前より先の戦争中に激戦地となったサイパン島、パラオに慰霊の旅を続けていて、その流れの中での4泊5日のフィリピン訪問となった。
今回の訪問では日本出発前にマニラ市民10万人が死んだ『マニラ市街戦』を取り上げ、先の侵略戦争にまつわる忌まわしい記憶を消したい政府や日本人に対して『頂門の一針』というべき贖罪の言葉を述べている。
そういった2人の思いとは別にフィリピン政府は最大限の儀礼で迎えたとはいえ、フィリピン国民には一部の歓迎しか目立たず、マスコミも踏み入った報道はなされなかった。
特に訪問地がルソン島地域に偏った事もあって、ヴィサヤ地方などにはほとんど関心は持たれず、セブに置いてはカトリックの関係する世界大会が開かれていることもあって、天皇・皇后のフィリピン訪問に対しては重要な出来事と見られなかった。
今回の訪問はフィリピン戦線で亡くなった全ての将兵の慰霊を主とし、フィリピンの象徴的英雄であるリサール像に献花の後、首都圏にある無名戦士の墓、最後にラグナ州にある日本人戦没者霊園を訪れ祈りを捧げた。
先の戦争でフィリピンは日本人戦没将兵が51万人以上を数える最大の死没地であり、フィリピン側の死者も110万人以上を数えている。
また、戦中の『強制慰安婦』問題も韓国同様解決されず、元慰安婦と支援するグループは滞在中の天皇・皇后に謝罪を求める抗議行動を行っている。
同時にフィリピンの日系人団体は訪問時期に合わせて全国大会を開き戦後の混乱の中で生じた『残留日本人二世』の国籍問題の解決を訴えた。
こういった政治的な声に背を向けるように日本の外交当局も報道機関も在留邦人の懇談などを取り上げ『ありがたいお言葉をかける』ような、お茶を濁す態度に終始していた。
しかし、訪問中に日系人2世達との面会は異例な状態で実現したが、これは天皇・皇后の強い意向があったと見られている。
天皇は政治的発言は立場上出来ないとされているが、近年の戦争を忘れ、平和を忘れる日本人に対して身を持って『不戦』の態度を示し、メッセージを送っていると見て良い。

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